飛行機ダイスキ!

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「グッドラック」の向こう側
「グッドラック」の向こう側―元航空技術者の独り言
「グッドラック」の向こう側―元航空技術者の独り言 村尾 鉄男


航空関係の本の中でもパイロットのエッセイが好きです。書いてある事柄はだいたい似通っているものの、やっぱり書く人の個性があって、何を読んでも著者さんのその人柄を感じることが出来て、どのエッセイも飽きることがない。
例えば軍隊上がりの教官の血を継ぐブルーカラー系のパイロット、クールでコンピュータ頭脳っぽいホワイトカラー系のパイロット、いずれも肯定も否定もしないスタイリッシュ系パイロット、とこんなことを言っては怒られるのは必至ですが、パイロットのエッセイにもいろんなジャンルがあったりします。

パイロットのエッセイはわりと数も多く、並んでスッチーのエッセイも良く出ていますね。こちらはもっと内容が似通っているのですが…好みの問題。また後日紹介します。

で、今回紹介するのは「「グッドラック」の向こう側」。「グッドラック」ってセリフを使うのは…整備士さんや管制官、そのほか地上職の人たちですね(他にもいるかもしれませんが)。それでこの本は、整備部門で活躍された「村尾鐵男」さんという技術者の方が書いたエッセイ。案外、整備部門の人が書いた、という触れ込みの本って少ないんですよね…。整備部門、と勝手に書いちゃいましたが、エンジンの技術者、そしてエンジンと整備工場の人員や設備の計画に携わった方です。目次なんかを一見すると、機材の話やホスピタリティの話まで、パイロットの方のエッセイと客室乗務員の方のエッセイを足して2で割ったような感じなんですが、読んでみるとこれがどちらでもなくって味わい深いんですよね。赤組系ですので、世界各国の整備を受注されてたりして、国際経験が豊富。他国機の話はもちろんですが、その往復でのCAさんとのエピソードがクスッっと笑っちゃうんですよね。

内容は、文庫本になってもおかしくないくらい平易な文章で読みやすい。マニアックなことなんてひとつもありません。それでいて、いろんな機材のお話や部材のお話なんかは、マニア心をくすぐる内容。それに、いろんな機材をみたり触ったり、契約を取ったりする人ですから、パイロットの方にもCAさんにもない経験のお話も多い。それに技術者たる著者さんの真摯さが手に取るようにわかる内容でとても気に入っています。
感想をひとことでいうなら…「日本人の資質って高い!」ってことでしょうか。

著者さんのエピソードをひとつ。台北までの機内で「新聞を」とCAさんに英語で頼んだら、その方は台湾の新聞を手渡しながら、自分は北京語も広東語も台湾語も話せるから、英語でなくてOKです、という。だから著者さんはパスポートを出して中国語が得意でない旨に「日本人なので…」と付け加えたにもかかわらず、「あなたは大陸の湖南省の生まれでしょう、私にはわかります。いつ日本へ帰化されたのですか?」と決めつけられたそうです。この後、著者さんはあることでちょっとトチってしますのですが、とても蔑んだ目で見られたそうです。
実はこれ、私にも同じような経験があるのです。同じく台湾までの路線で。機内は空席も多く暇そうだったので、ちょっと早めにハガキをお願いしたら(英語で)、CAさんは中国語で何かいってくる。しばらく何いってるか良くわからないけど、また英語に戻って「○○の出身でしょう?」と。「I know」って…。立ち去ったCAさんは、私のほうを向きながら別のCAさんとコソコソ話してた。
ちなみに中国へ行くと、美容系のキャッチセールスにひっかかったり、よく現地の人と間違われます。2回ほど人違いされたこともあります。そのうち1回は西安の観光者向けのナイトクラブで。その私と似てる中国人の方はよほどのことをしでかして逃走したか、ドラマチックな別れかたをしたかで、顔を歪めてとても心配そうに私の体を大きく揺すり、何事かと思った母親が間に入ってくれて解放されたのですが(笑)

ところで、最近はちょっとしたことで機密情報漏洩だの、職務違反だのって、「だから、ど〜したっ?!」って感じのことが真面目な面持ちでニュース読みされたりしてますが、あんまりくだらな過ぎてやんなっちゃう今日この頃です。ネットで写真を掲載したパイロットが職務規定違反で処分されて、ニュースにまでなっちゃう。
楽しみが減ってきてしまって、残念です。しかも、驚くのがその規定違反だとかって基準があいまい。本ならOKで、ネットはNGのようですからね…。


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| 竜子 | 航空・そらの本 | 23:55 | comments(2) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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国内線の航空ルートを知りたいときは
うちの上空を通るのは、羽田から出発して守谷ディパーチャーへ向かう飛行機たちなのですが、TCAチャートの東京/成田、それと首都圏の地図を眺めながら、それでもやっぱり分からないことが多くって…これが分かるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

先日、久しぶりに羽田空港へ行きました。天候も悪くってデッキには行きませんでしたが、なぜだか仕事に追われて無茶して忙しくしているときのほうが、時間を作ってでも羽田に行くものですね。前回行ったのはだいたい1ヶ月近く前。関空乗り継ぎのエミレーツに乗るためで、「行った」というか「使った」なのですが。

ブックスフジで仕入れたのは、「出発進入経路マップ Ver.6」。たぶん、普通の航空ファンの方なら航空無線のためや、撮影のために必要な1冊なんだと思いますが、私の場合は単純に自分ちの上空がどんな風になってるか知りたかった…。あくまで、ヒントに過ぎないのでこれだけじゃ分かんないのですが。

出発進入経路マップ Ver.6
出発進入経路マップ Ver.6 エアライン編集部

内容は至ってシンプルで、必要最低限のコースと、経路の高度制限などの解説がある。見方によっては解説も図解マップも必要な情報のみの表示で、非常に分かりやすいし、めまいのするような文字の羅列がなくてとても見やすい。だからとても分かりやすい!
ただ、風向き(季節)、時間帯や混雑具合など、そのコースが使われる可能性を示唆する内容があれば、もっと面白いと思った。面白いというか、この本で完結できるのになぁ〜、というか。

フライトナビ 改訂新版 (イカロス・ムック)
フライトナビ 改訂新版 (イカロス・ムック) イカロス出版

それともう1冊。これは去年買ったものなのですが、こちらは入門者・初心者向け。出発から到着までの経路を、滑走路のフォローと機窓から見える景色と共に解説しています。ただ、ウェイポイントやVOR/DMEについてのフォローが大雑把なので、もうちょいほしいな…って感じ。機窓の景色を目印にするあたり、ワクワクできて楽しく閲覧できるのですが、チャートの副読本といったノリで、いっそのこと機窓の景色だけを目印に楽しむフライトの本だったらもっといいのに…。

進入/着陸経路の本は、希少な本で手元にあるとかなり便利なのですが、中級者を通り越して上級者向けの資料として機能する本ばかり。かといって、初心者向けの初心者だとか入門者だとかいうまえの、普通の人向けの本だってないしね…。
中級者向けのプラスアルファな本を希望します。

では。

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| 竜子 | 航空・そらの本 | 21:38 | comments(5) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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「AIRCRAFT INTERIORS」「AIRPORT DESIGN」
週末の夜の盛り場では、追悼マイケル・ジャクソンなのか、行く先々で映像や音楽が流れていたけれど、あるところでは映像だけがマイケル・ジャクソンで流れる音楽は本人とは関係のない、ムーディなハウスだったり…、ま、なんしかちょっとしたイベントのようになっていた。

少し前にマイコーブームで、本を読んで、彼の肌の色は噂された脱色なんかではなく黒人の2%に発症する尋常性白斑の病変であること、顔の整形だって白人願望からのものでなくってやむを得ず手術したのがきっかけだったこと、ネバーランドであったとされる事件も大物ゆえの災難でしかないことなんかをあらためて知ったばかり。伝説に残る人によくある通り、短命に散ってしまったけれど、ほんとうにガッカリだ。わたしは「Billy Jean」が好きです。

マイケルジャクソンといえば、ネバーランドでの嫌疑がかけられたときにエキストラジェットなるアメリカのビジネスジェットの会社から訴えられたこともありました。料金未払い訴訟なんですけれど、結局この訴訟だって、ビジネスジェット会社オーナーと航空整備会社の元経営者ぐるみで飛行機の中にカメラを忍ばせ、マイケル・ジャクソンの隠し撮り映像をマスコミに売ってひと儲けしようと企んだからなわけで、マイケル・ジャクソン側が勝訴しましたけど…。この航空会社は、判決で多額な賠償金を支払うように命じられました。
なんだか切ないなぁ〜。

Aircraft Interiors (Design Book)
Aircraft Interiors (Design Book) DAAB

さて。今回紹介するのは、そんなゴシップまみれになってしまったマイコーも愛用したかもしれないハイソな薫りが漂う飛行機を紹介した「AIRCRAFT INTERIORS」。400ページに及ぶ分厚い写真集です。
飛行機のインテリア、といっても旅客機ならファーストクラス、最低でもビジネスクラス(ビジネスクラスはほんのちょっと)、ファルコンから737のプライベートジェット、そんな室内インテリアを皮の質感まで分かるほどの、どアップで紹介しています。一部はイメージイラストや、機窓ははめ込み合成だったりと、まるで高級外車のパンフレットのようですが。
A380やB787なんかでもまぁまぁなボリュームで紹介(でもイラスト多用)、見どころはビジネスジェット(コーポレートジェット)や、プライベートジェットでしょうか。「トイレ」じゃなくって「ラバトリー」といわしめる、水回りの優雅さ、テーブルウェアのギンギンな硬質感、ベッドの毛皮シーツなんか見てると、立ってる世界が違い過ぎて、現実味がないんですよね。当たり前だけれど。お手洗いの壁がウォールナット? マホガニー?(わからん…)、台座が大理石でシンクが真鍮、みたいな。とにかくゴージャスなんで良く知りませんが、立派過ぎて感動! というより、なんで地上と変わらぬものがここで必要なのか、何をしに目的地へ向かうのか、これに乗る人たちがどんな生活をしていて何で収入を得ているのか、彼らの子供たちがどんな風に育っているのか、気になります。

Airport Design (Design Books)
Airport Design (Design Books) DAAB

続いて、この「AIRCRAFT INTERIORS」の姉妹書、「AIRPORT DESIGN」。こちらも400ページのボリュームで日本からはレンゾピアノの関西国際空港がセレクトされています。「これじゃぁ関空があんあまりだよっ」って突っ込みたくなるほどの写真で、なぜか関空だけ写真の質が悪いのです。
黒川紀章の、クアラルンプール国際空港もあります。
それにしても…。どこもかしこも、ホワイト鉄骨空港(←なんていっていいか分かんないけど、羽田空港とか仙台空港とか、関空とか、世界でも恐竜の骨にビニールハウスのテントを張ったような…そんな空港)ですよね。大型建築だからなのかもしれないですけど。新しい空港はみんなホワイト鉄骨空港なので、形状の違いや中の人や文字や看板でようやく異国情緒が感じ取れるというか…。この写真集も、とにかく人の気配を殺した写真が多いので、余計にそんなことを感じてしまいます。

こんなことを言ってはなんだけれど、こんな風に世界の名だたる巨匠のコンペ選出の空港を取り上げるのも面白いと思うけれど、世界のドメスティック専用写真集があったらいいのにな。

では。

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| 竜子 | 航空・そらの本 | 07:26 | comments(4) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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「追憶の翼」

Classic airliner in Japan―追憶の翼 (1960-75Vol.1) (イカロスMOOK)
Classic airliner in Japan―追憶の翼 (1960-75Vol.1) (イカロスMOOK)
Toshihiko Watanabe
Classic airliners in Japan―追憶の翼 (Vol.2) (イカロスMOOK)
Classic airliners in Japan―追憶の翼 (Vol.2) (イカロスMOOK)
Toshihiko Watanabe


写真ってのは、人にさらされて輝くものですね。そして長い年月を経た後に…ってワインじゃあるまいし! って感じだけども、過去の写真ってとびきりの興奮をもたらしてくれます。

今日紹介するのは1960年〜1976年までの、私の生まれる前に撮影された飛行機の写真集、「追憶の翼 Vol.1」と「追憶の翼 Vol.2」です。写真集、というかイカロスMOOKです。常々「イカロス出版の本って高い、高すぎる!」と思ってますが、このMOOKは1冊3,500円(税込3,333円)、Vol.1とVol.2合わせて7,000円とやはり通常のMOOKから考えると高い気もするのですが、とても満足で気に入っています。装丁がもっとしっかりとハードカバーにでもなってたりしたら、5,000円くらいでも買っていたかも…とも思います。

見たことあるようでないような、でも記憶にあるような、そんな飛行機の写真ばかりカラーで紹介しています。
写真のほうはこうして過去の機体を寄せ集めた本だからこそ、「懐かしい」とか「へぇ〜」だとかって見れるのですが、普段これだけの分量で昔の機体が見れることってわりと少ないですよね…。
雑誌の特集企画だったり、本に挿入される僅かなスペースだったり、モノクロだったりして。あと、カラーで良く見かけるのは、プラモデルとか、ダイキャストプレーンのパッケージ写真だったりします。

撮影者は東亜航空に勤めてらした渡辺俊彦さん、解説者は世界の航空機データ年鑑の特派員も務めてらっしゃる古内淳さん、撮影された方と解説者が別なので、写真がどのような環境下で撮られたものかというエピソードはなく、映っている機体の解説(たとえば機材のキャパ解説はもちろん、新規登録から抹消まで機体がどのような運命を辿ったのかなど)に徹しているのですが、それがまた感慨深く、旅情に浸るような哀愁漂う想像力が掻き立てられていいのです。

機体のカラーリングや細部はともかく、背景に映るターミナルビルや展望デッキ、トーイングカーや整備車両なんかもとても興味深いです。羽田空港なんかは灰色の要塞、というか軍艦のようです。それから遠くに映る企業広告のデザインも。「ナショナルカラーテレビ」の広告塔なんかでも、「こんな書体だったなぁ」から始まって、「昔は乾電池が自販機で売ってたっけ」とか、そんなことまでひろがったりする。それにシャッターひとつ切るにもフィルムで、現像に出して、と。「1枚」の写真でなく「1葉」の写真と言ってみたくなる。

あと、気になるのは…。羽田空港で撮られたいくつかの、雨上がりや雪どけの駐機写真なんですが、水がうっすら張っているんですよね。その水面に機体が反射してとても美しいのですが、羽田の駐機スポットに水が張る、なんてことは今もあるのでしょうか?


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| 竜子 | 航空・そらの本 | 05:27 | comments(2) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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「消滅飛行機雲」
消滅飛行機雲 (新潮文庫)
消滅飛行機雲 (新潮文庫) 鈴木 清剛

ジャケ買いならぬ、「タイトル買い」の1冊です。私が大学生の頃に「ラジオデイズ」や「ロックンロールミシン」という作品が話題になり、映画化され、鈴木清剛という作家の名前があっという間に広まりました。当時読んで、あんまりに日常過ぎて退屈した記憶があったのだけれど、だからといって嫌いになる理由も毛嫌いする理由もない、そんな作品でした。

ご存知のように飛行機雲は空に白い筋を引く人工的な雲ですが、「消滅飛行機雲」というのは、うっすらとガスで覆われた空を飛行機が通ると、その軌道のところだけ雲をなくす、というもの。「反対飛行機雲」だとか「逆飛行機雲」だとかって言ったりします。

「消滅飛行機雲」は短編集です。小学校低学年の弟が、14歳になるお兄さんが入院している病院へ自転車で訪ねに行く、それだけの物語です。弟が、お兄ちゃんや親に内緒で、子供用の自転車で産業道路を駆け抜け、「ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ♪」(←忍者ハットリ君のイメージが強いのだけど、本家は?)とゴキゲンに歌いながら目印ポイントをつないで病院へ向かう。そこにはひとりじゃないと見えない景色があって、冒険の達成感もあるんだけれど、ひげや脇毛の生え始めたお兄ちゃんはそんな弟の行動も察知しながら「まだまだ甘いなぁ」なんて認めなかったりする。高速道路というかさの下でトラックやダンプがびゅんびゅん通り過ぎ、鼻くそをほじくると真っ黒になるような産業道路。思春期のお兄ちゃんは、弟には分からないのを知りながらその通りを「消滅飛行機雲」に例える。

タイトルの「消滅飛行機雲」が特段に光るお話ではありませんでした。
でもこの小説の内容も、私の感想も、いたってありきたりな話なんだけれど、その、少年が見た空が私が幼い頃に見た景色と重なって、自転車のハンドルを握って風を切る気持ち良さ、駅の路線図を睨めながら人気の少ない駅に降り立ったときの驚きなんかを思い出した。そうするうちどこかに出かけたくなったりする。行き先なんてどこだっていい。でもそれは子供のときのように自転車とか電車とかじゃなく、飛行機なんだなぁ〜。冒険者らしくバックパッカー、ではなく、用意周到にまともなホテルを求めたりして。

はぁ…。
それはそれで、ため息。


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| 竜子 | 航空・そらの本 | 08:05 | comments(5) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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アナトリア半島(西南トルコ)周遊
引き続き乱暴ですがアナトリア半島周遊の写真です。

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ダーダネルス海峡〜トロイア遺跡
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■ダーダネルス海峡をフェリーで渡って、チャナッカレへ向かいます。ギリシャ神話でおなじみのイダ山(イーデー山/カズ山)を通りました。ギリシャの神々が住まう山、メデューサの美人コンテストのある山です。現地ガイドさんが神話の話などいろいろと解説してくれました。その話を要約すると、トルコとギリシャはとにかく仲が悪い、ということ尽きます。


■チャナッカレに沈む夕日。夏時間採用しているものの、日没が20:00過ぎ。


■あ! 飛行機雲!!


■トロイア遺跡、トロイの木馬の模型。小学生の遠足の場所。この中に人を忍ばせて戦車代わりにして、トロイアを陥落する。


■トロイの木馬はこの道を通ったとか?!


■ギリシャ神話に登場するトロイア戦争。伝説と思われていた古代都市・イリオスが実在すると信じたドイツ人の実業家・シュリーマンによって、この遺跡が発見された。ただ、遺跡は9層から成っていて、トロイア戦争があったとされるのは第7層(紀元前1200年中期頃)、シュリーマンが断定した第2層は紀元前2000年よりも前の地層であることが判明している。ここがその戦いの舞台とされるところ。真相は不明だけど。


■復元されていない部材がゴロゴロ。後ろの集団は地元の学生諸君。屋外舞台の集会場(遺跡)に腰掛け、野外授業。


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ベルガモン遺跡
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■紀元前3世紀半ばから2世紀に栄えた、ペルガモン王国の首都、ペルガモン(ベルガマ)遺跡。ヘレニズム時代の都市で、現在のチャナッカレにある。見晴らしがよく、街が一望できる。


■アテネ神殿、ゼウスの大祭壇、アゴラ、図書館の遺跡(建造物の骨格のみ)が残っているが、残されていた宝物や壁画などの貴重品のほとんどは、ベルリンの「ベルガモン博物館」にて収蔵・復刻されている。これはトラヤヌス神殿の痕跡。


■「骨!?」と、一瞬「歴史的な発見!」とおののいたが、動物の骨だろうな…。


■武器庫となっていたところ。


■劇場。写真じゃ分かってもらえないと思いますが、かなりの急斜面過ぎてさすがに足がすくむ。よくまぁこんなところに…。


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クシャダス〜エフェソス
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■宿泊はクシャダスのエーゲ海沿いのホテル。エーゲ海っていっても日本海のような断崖絶壁だった。


■あ! 飛行機雲!!


■エーゲ海は夕日もひときわ美しく見える、ってことはないけどきれいな夕焼けでした。トルコはもちろん、ヨーロッパ中で名高いリゾート地。夜はみんなホテルの大型ディスコで、'80年代ソングで盛り上がっていた。


■起きたら豪華客船が入港してた。そして、こんな砂浜のない海で、泳いでる人がいた!


■ついに来た、エフェソス(エフェス)! ちなみに、世界遺産には指定されていませんが、ユネスコからの制限を受けずに研究をするためだそうです。ラッキー。紀元前11世紀の古代ギリシャ人都市。手前の茶色い管は配水管。水を操った古代人文明というのは本当に凄い! 今は相次ぐ地震と土砂崩れで港から遠ざかってしまったが、近くには地中海交易の盛んな港、それからアルテミス神殿があった。


■ニケ(ナイキ:Nike)像。これは「翼の女神」ですからね。バチバチ写真を撮りまくりました!! よく見ると、あらわになった片方のおっぱいをいろんな人が触りまくった痕跡が…。


■この通りはメイン通り。このエフェソス周辺には25万人が住んでいたと見られています。


■大混雑…路地を抜けると何があるのでしょう?


■そこにあるのは…水洗式の公衆トイレです。やんちゃな女の子と男の子が撮って! とパチリ。




■こんな風に、便座の下に水が流れているのです。


■これが見たかった…。「セルシウス(ケルスス)図書館」。こんな大昔に公共図書館を築くって凄いことだと思いませんか?! こんな風に残っているのも奇跡ですけど。12,000冊の蔵書があったとされるのですが、120年頃に12,000冊って、どういうこと?! ミラクル。


■知恵、運命、学問、美徳を表す4体の女神像がありますが、本物はドイツにあるそうです…。


■2万4千人収容可能の円形劇場のステージの真ん中に立ってみる。


■この先は港に通じる幹線通路。これだけの文明を築いたギリシャ人は、その発展ゆえ、むやみやたらな木の伐採をして土砂崩れを引き押したと地質学者が言っていた。水で栄え、水で滅ぶ、地中海交易の重要都市。


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パムッカレ〜コンヤ
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■石灰棚の「パムッカレ」。温泉保養施設がたくさん建ち並ぶ。温泉プールのあるホテルに泊まり、ついでにトルコ風呂(ハマム)もやってみた。ゴシゴシと垢擦りをしてもらって、泡だらけになってマッサージ。女性を指名したのに、ケロッとした顔で男性が出てきた。無論、女性にチェンジ。


■コンヤにあるメヴラーナ博物館。メヴラーナ教(メヴレヴィー教団)は、13世紀にアフガニスタンで生まれた神秘主義的哲学者のメヴラーナさん(ジャラール・ウッディーン・ルーミー)がコンヤに移り住み広めたイスラム教の一派。慈善的な思想でイスラム教徒からも一目置かれた存在らしい。このメヴラーナ教はセマーと呼ばれる旋舞でもおなじみ、ということですが、初めて知りました。トルコ石に似た青いタイルのトンガリ屋根が特徴。


■1923年のアタチュルクによるトルコ革命によって、脱イスラム政策が図られ、教団は解散しましたが博物館として利用されています。この博物館の中は、メヴラーナさんのお墓(室内なのに!)や、イスラム教の開祖・ムハンマド(マホメット)のあごひげが入った箱などがあります。


■クルクルまわって祈りを捧げるのですが、この回転儀式は宇宙遊泳みたいなものなのだそうです。外観は地味に見えますが、中はゴールデン、トルコ絨毯やコーランなどが展示されています。ここではイスラム教の風習に則って、頭に黒いストールを巻きましたが、凄く似合ってしまいました!


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カッパドキア
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■5月下旬という季節にとても恵まれました。バスでトルコの半分を駆け巡り、移動距離もそれ相当なのですが、窓からの眺めのおかげで苦になりませんでした。


■子供の頃に読んだ物語のような風景。


■どこもかしこものどかな景色。


■上のお花畑は、芥子の花です。国で管理しながら栽培しているのだそう。もちろん、お持ち帰り禁止。


■カッパドキア(奇岩地帯)は、これから保養の地として使いたいと思います。これは、ラクダ岩。


■2人の現地のガイドさんも、そして母もここのトルコアイス(ドンドルマ)が一番美味しいと言っていました。ギョレメの谷にあります。ただ、トルコ名物で知られていますが本当は東トルコの名物だそうです。のびるのに固いアイス。美味しかったです。


■カッパドキアをハイキングしてきました。写真じゃ分かりませんが、石灰質の岩がジャリジャリに砕け、砂状になって足下に散らばっているから、岩を登るのが本当にたいへん! よく滑るので、軍手も必要です。山の上の方に来ると、眺めがずいぶん変わって楽しい。次回はトレッキングシューズと杖を用意して、もう少し長めのトレッキングに挑戦だな。空気も美味しくて凄く楽しかった!


■これ、女の人がぼ〜っと佇んでいるように見えませんか? 図体の大きさといい、私にそっくり。頭がカチ割れていますけど。


■ウチヒサールの要塞。石灰質の岩は加工が簡単らしく、古代の人は上に下に、住居を築きました。


■これは地下都市といわれる「カイマルク」。迫害されたキリスト教徒たちが隠れ住んでいました。この地下都市っぷりがとにかく凄い規模です。一人じゃ怖いくらい。地下5階だと6階だとかは当たり前。大きな通気口もちゃんと通っていますし、調理スペースもかなりの大きさ。不審者侵入に備えた落とし穴も多く、蟻の巣のごとし。想像を超える生活スペースです。


■軍人さんの格好した少年発見。


■レバノンからツーリングに来たのだそう。気持ち良さそうですよね。カッパドキア周辺は観光客がたくさん。


■この女の子の家に伺いました。後ろに立ち並ぶ洞窟を改造した家に住んでいます。


■トルコの富士山といわれる「エルジェス山」(約3800m)。トルコにはまだまだ高い山があります。


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トゥズ湖〜アンカラ
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■トゥズ湖というのは、塩湖です。80km×50kmに及ぶ土地ながら、年間の平均水深は50cm、夏になるとそのほとんどが干上がるという。トルコで消費される塩の7割は、このトゥズ湖のもの。


■湖の水際まで歩いてきました。水面が鏡になって、雲に隠れた太陽の光を反射していました。


■トルコの首都・アンカラまでは長距離のバス移動。本を読むつもりで乗り込んだものの、牧歌的な景色が続き、暗くなるまでずっと外を眺めていました。こんなに何時間も移りゆく空を眺めたのって何年ぶりだろう?


■雲の動きも、太陽の色も、あっという間に表情を変えていくけれど、数時間後にはまた同じ太陽が昇って、違う景色を見せるのだから、空っておもしろい。


■とか言っちゃったけど、ほんとうは、ただじっと眺めてるだけで、なんにも思ったり感じたりはしていなかったな。


■陽が沈む瞬間って、どうして太陽の色が赤く変わるんですか? 知っている人はぜひ教えてください。


■小高い丘のてっぺんにあるアンカラ城でご飯を食べました。そして、アンカラ・エクスプレスに乗って再びイスタンブルへ。


■駅は天井が高いけれど、こぢんまり。なんだか銀行の受付待ちみたいです。


■アンカラ・エクスプレスの食堂車。子供のときに広州から香港まで乗った特急の食堂車で、お嬢様気分でサーブしてもらったのを思い出した。年もとり、さすがにセレブ気分なんてことにはならないけど、食堂車っていまだに子供が焦がれる物語の世界。


■夜も朝も車掌さんがベッドメイクをしてくれる。1等個室寝台というのに乗ったけど、冷蔵庫のお菓子も飲み物もフリー。よく寝れたし。とても楽しかった!


■到着駅のハイダルパシャ駅。



旅の途中の写真、メモリトラブルでちょこちょこ写真が抜けてしまったのだけど、だいたいこんな感じでした。
トルコ旅行、以上。


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| 竜子 | 航空雑記とつれづれ日記 | 18:38 | comments(2) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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コンスタンティノープル、イスタンブル市街
乱暴ですが、イスタンブル市街の紹介を。


■トプカプ(トプカピ)宮殿からボスポラス海峡。


■トプカプ宮殿の図書室…ってのは嘘ですが、修復完成図って素敵ですね。まだまだこんな風に修復を繰り返しながら公開しています。


■15世紀中頃〜19世紀中頃までオスマン帝国の君主(スルタン)が居住した宮殿。んと…イスラム教の開祖ムハンマドの「あごひげ」とそれからなんと…「モーゼの杖」が展示されていました! この奥は豪華絢爛。ハレムもありますが撮影禁止でした。


■この大きな敷地の奥に見えるのが宮殿の厨房。


■トプカプ宮殿のお隣にあるアヤソフィア(ハギアソフィア)博物館の入り口。タクシー、お土産屋…いろんな客引きでごった返してます。


■巨大。写真がないけどこの中身がとにかく凄い! アヤソフィアは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代に建てられた正統派キリスト教の大聖堂だったけれど、オスマントルコ時代には装飾が漆喰で塗りつぶされ、モスクとして利用されてました。


■現在は少しずつ漆喰を剥がしたりして公開。ここのモザイクは秀逸。


■アヤソフィヤの向かい側にあるのがスルタンアフメト・ジャミィ。ジャミィ=モスク。中はイズニックタイル(トルコのイズニック地方のタイル)と青のステンドグラスで装飾されることから「ブルーモスク」と呼ばれ、世界一美しいモスクとして知られています。


■真ん中にあるのは、清めるための水。神社仏閣と似てますね…。モスクの中は涼しくて厳粛な気分になる。


■トプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクの近くにある地下宮殿。「地下宮殿」とは俗称で、実際には地下貯水池(バシリカ・シスタン、またはイェレバタン・サルヌジュ)。なんでこんなに立派なのか意味が分からない! 魚が泳いでた。
ちなみに…地図上では見所が集約されていて、写真もこんな風にまとめてますが、むろん1日ではこのあたりはまわれません。


■地下宮殿には、メデューサの顔が彫られた古代の石塊がある。余り物の部材で造られたから顔が逆さになっている、という学説があるらしいが、それもさっぱり意味が分からない。


■少し前まで地元のマーケットとして活況してたグランド・バザール。いまはお土産物がいっぱいで観光客がメイン。価格表示がないのが非常に困る。どうも身構えてしまって、楽しく買い物できないのです…。


■グランド・バザールはどこもかしこも色彩豊か。これはイスラム文化特有のオイルランプ。


■右側の青い、カラスよけみたいなのが「ナザールボンジュウ」。魔除け、だそうです。ガラスでできています。


■タクシーに乗ってイスタンブルをブラブラしてきました。普通に「ナザールボンジュウ」が。オーディオボタンにもひとつずつ。


■「ヴァレンス水道橋」。3世紀の東ローマ帝国時代に建てられ、オスマン帝国時代までイスタンブル旧市街の地下貯水池(地下宮殿)に水を通わせていたけど、今は幹線道路をつなぐ道路に。


■タクシム広場の「共和国記念碑」。アタチュルクとその仲間たちの銅像。都市の各方面に水を送る分水器(タクシム)があって、現在はイスタンブルの中心地になっています。


■タクシム広場沿いの繁華街にある映画館。


■イスタンブルの凄いのは、東京の一等地並みに高騰した物価、文化水準にまで発展を遂げつつも、その軌跡が古いまま温存されていること。京都みたいにマクドナルドも茶色…(笑)


■タクシム広場につながる路地はどれも飲食店や商店で賑わっている。


■トルコの食料自給率は100%。野菜も果物も美味しかった…。ただ輸入品のバナナは高級果物なのだそう! フィリピンじゃ「家畜の餌」だと言ってたが…ところかわれば。


■あ、飛行機雲! チューリップはイスラム社会では神聖なお花。ちなみにチューリップの原産国はオランダではなくトルコなのだそう。国花もチューリップなので、チューリップを象ったものをとても良く見かけます。


■右手にエジプシャン・バザール(スパイス・バザール)、左手に「イェニ・ジャミィ」(モスク)。エジプシャン・バザールってのは食品街です。バザールの中は香辛料や土産物などがメイン。


■エジプシャン・バザールの外の方は生鮮食料品が多く地元の人たちで活気があります。御徒町からアメ横って感じでしょうか。


■この人だかりはさくらんぼ売り。ちょうどさくらんぼの季節でした。一粒味見させてもらいましたが、果肉が固めですっぱさ満点。でも味が濃厚で美味しかった!


■トルコの買い物でとても困るのは、スーパーやデパート以外、価格が表示されていないこと。いちいち値段交渉するなんて面倒。…ってかほんっと馴染めない。これさえなきゃなぁ…もっといい国なんだけど。


■トウモロコシの露天はあちこちで見かけます。焼きと茹でがあって、焼きは不思議なことに醤油のこげた匂いが気になってたんですよね。でもこのトウモロシ、口に合わなかった…。


■「イェニ・ジャミィ」は、メフメト3世の母のために建てられた。このお母さん、政治的指導力の欠落した息子の代わりに事実上帝国を統治しました。


■あ! 飛行機雲!! モスクについてる鉛筆みたいな塔は「ミナレット」といいます。


■イェニ・ジャミィやエジプシャンバザールがあるのはヨーロッパ側、写真のあっち側の町並みは、アジア側になります。


■エジプシャンバザールの周辺も凄い活気。昔からの町並みのまま現代の人が普通に生活してる。


■変わった格好をしてたので、親御さんにお願いして写真をパチリ。帰国して調べたら、この子の格好はイスラム教の割礼儀式の衣装なのだそう。とても喜んで息子を差し出してくれたご両親なのでした…。


■イスタンブル郊外の駅前広場。駅の名前は…忘れた。ここにも銅像。


■夜になると国旗が光って浮き出すんでしょうね…。


■トルコが誇る鉄道。わりと繁華街なのですが駅は小さい。ノリ的には西武新宿線って感じかな…。


■線路も2本。トルコの人口の年齢ピラミッドは山型、少子化なんてなんのその。今年も人口が増え続ける。なかでもイスタンブルは東京同様に田舎から人が集まり、増殖し続けているけども、日本に比べると鉄道はまだ未発達。イスタンブルには地下鉄もありますが市街地の移動の主流は路面電車。


■あ、飛行機雲!!


■夕方まではどこも大渋滞です。


■ショッピングモールにはメリーゴーランド。


■ボスポラス(ボスフォラス)海峡をクルーズしてきました。この海峡沿いの、なんの変哲もないマンションのお家賃、150万円なり。イスタンブルの物価は東京並み。中でも海峡沿は成功者のステータス。賃貸マンションでも海辺ではどれも六本木の高層マンションのように100万円は下らないお家賃だそうです。
この写真は金角湾。船が停泊しているあたりがガラタ橋。可動橋として稼働していたけどいまは動かないそう。ここには渋滞解消のため近々海底トンネルができる模様。これも大成建設や鹿島などなど、日本の土木技術が大活躍です。そして、地元のテレビで見ましたが(トルコ語でなに言ってるか分かりませんでしたが)、古代遺跡がいまもザクザク出てきているようです。




■ルメリ・ヒサル、城塞です。ここを拠点にオスマン帝国のメフメト2世(オスマン帝国・第7代君主)が、東ローマ帝国の首都・コンスタンティノープルを陥落させました。4ヶ月で完成させたそうです。


■ドルマバフチェ宮殿。コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世が造らせた庭園に、オスマン帝国の第31代君主がバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿を造らせる。オスマン帝国の後のトルコ建国時には執務所として使用されました。トルコの英雄・初代大統領のアタチュルクが亡くなったのもここ。


■トルコの将校学校。


■おっと。アジア側の海峡沿いに住む富豪(たぶん)さんが、ボートでヨーロッパ側にご出勤。




■トルコは日本と同じように地震の多い土地。ボスポラス海峡にかかるのは、2本の大橋。ボスポラス橋(ボアズィチ橋)とこの第2ボスポラス大橋(ファーティフ・スルタン・メフメト橋)は、鹿島、石川島播磨や三菱重工などが。


■この旅の最後の日に乗る寝台特急「アンカラ・エクスプレス」が到着するハイダルパシャ駅。海底には1100本の木の杭を埋め込み基礎を作っている。三方が海に囲まれている珍しい駅。



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| 竜子 | 航空雑記とつれづれ日記 | 23:59 | comments(2) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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■Chapter30(最終回) カトマンズ・トリブバン空港着陸


 仙波機長は着陸を担当するカトマンズ空港タワー管制に周波数を変えた。そして再度、高度設定を確認した。

(現高度、6,800フィートは)6マイルまでですね
はい。6マイル」と頷いて牧機長も確認する。仙波機長はタワー管制を呼んだ。
カンマンズ・タワー エアシステム8517 ナウ 7マイル ファイナル ランウエイ インサイト
(カトマンズ・タワー管制へ。こちらスアシステム8517です。現在、最終7マイル地点です。滑走路確認しました)
エアシステム8517 ウインド ウエスタリー 10ノット クリア トゥ ランド ランウエイ02
(エアシステム8517へ。風は西から10ノット吹いています。滑走路02へ着陸を許可します)
 管制官は女性である。独特の訛りのある英語が響いてきた。
エアシステム8517 クリア トゥ ランド ランウエイ02」 仙波機長は着陸許可を復誦し、牧機長が再度、高度設定を確認した。
6の68」(6マイルまでは高度6,800フィートで)
6マイル OK、ネクストは5マイルの6,100
 仙波機長はチャートをチェックして次の高度設定、5マイルを6,100フィートで飛行することを確認し、牧機長がナビゲーションをコンピューターにセットする。
OK、5マイル過ぎましたら、4マイルまでは5,800(フィート)、5マイル、5,800。スピード アルトスタンド
 牧機長が頷く。
ゴーアラウンド アルトは15,000(フィート)
(着陸やりなおしの場合の高度は15,000フィートです)
セット
ランウエイ イン サイト ランディング」と牧機長。
(滑走路確認。着陸します)
 もう、エアシステム8517は空港を取り巻く山の最後のなだらかな山腹を降りてランウエイに向かっていた。
 高度は5,800フィートだが滑走路の標高が約4,200フィート(1,400メートル)あるので実質高度は約1,600フィートしかない。
アプローチ、ナウ グライドスロープ」(グライドスロープに乗りました)
 滑走路の末端から発する下降進入のビームに乗って高度を下げる。
サーフェス・ウインド(滑走路上の風)は…?
もう一度、聞きますか? あまり当てににならないサーフェス・ウインドですけど…
そうね」と牧機長。普段の着陸なら管制官が風速と方位が変わるたびに航空機に知らせてくるが、カトマンズの管制官はランディング・クリアランスの時に、ウエスタリー、10ノット、と大まかに知らせただけでその後アナウンスはない。
これが350度の15ノットです
 仙波機長は飛行機の計器に表われている風速と方位を読み上げた。ヘディングが20度なのでほぼ正面の風、若干、左から吹いている。「マニュアル スラスト」と牧機長はオートパイロットをオフにして、手動に切り替えた。
 眼前を鳥の群れが飛んだ。
バード」と牧機長が確認する。ランウエイの末端が薄暮の中に鮮やかに浮き上がって見える。
ワン・タウザンド」仙波機長が高度1,000フィート通過を告げた。そして下降ビームを見ながら、
スライトリー ビロー」と機体が少し低く進入していることを告げる。すぐ牧機長は飛行機をビームに乗せた。
ちょっと、(高度が)高く見えると思いますので
 滑走路の末端が目の前に迫った。
400(フィート)」コンピューターの音声が高度を読み上げる。あと、接地まで120メートルだ。
300(フィート)」仙波機長が高度計を読んだ。
スタビライズド ランデング!」牧機長が着陸を告げる。
200(フィート)」とコンピューターの声。滑走路が茶色の帯びを流したように後へ飛ぶ。
330(度から)、10ノット」仙波機長が滑走路の風を計器で読み伝える。
100…50、30、20、10、5…
 エアシステム8517は滑走路に接地した。すぐリバースがかかり機体が減速する。
80(ノット)」仙波機長がスピードを告げた。
エアシステム8513…コンタクト・グランド121.9
 訛りの強い管制官の音声は聞き取り憎い。
ラジャ。ピックアップ3 エコシナ2 スイッチ トゥ グラウンド 121.9
(領解しました。ピックアップ3、エコシナ2、地上管制121.9メガヘルツに変えます)
ア ファーム ゲート2」(ゲート2です)
それではレフトターンで
カトマンズ・グランド エアシステム8517 リクエスト タクシー
(カトマンズ地上管制へ。こちらエアシステム8517です。地上走行の許可を願います)
 客室ではカトマンズ到着のアナウンスが流れている。
皆様、ながらくのご搭乗お疲れ様でございました。只今、カトマンズ・トリブバン国際空港へ到着いたしました。こちらの時間で午後4時42分でございます……

見上げると周囲の薄暗い山並みから抜きんでるようにエベレストがあるクーンブー・ヒマラヤの峰々が黄金色の夕陽をあびて王者の風格で天空にそびえ立っていた。

END


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「機長席II 〜ヒマラヤ飛行〜」Chapter30(最終回) カトマンズ・トリブバン空港着陸/全30回
The Voice Recording of The Airbus A300-600 Cockpit
福岡〜昆明〜カトマンズ フライトドキュメント/録音&解説 武田一男/(C)Director's House
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| 竜子 | 機長席II 〜ヒマラヤ飛行〜 | 17:18 | comments(5) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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ヒマラヤ飛行、最終回です
こんにちわ。
いよいよ、「機長席II 〜ヒマラヤ飛行〜」、最終回となりました。

途中、わたくしの勝手で更新が止まってしまったりで、武田さんをはじめ、楽しみにしてくださってた方にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

また応援してくださった方、どうもありがとうございました。

これで最終回となりますが、長くたくさんの方にお楽しみいただけるようになればと思います。

では。

作品を提供くださった、武田一男さんに拍手を。

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| 竜子 | 機長席II 〜ヒマラヤ飛行〜 | 17:17 | comments(4) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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イスタンブル アタトゥルク空港
引き続き、Emirates航空。ドバイを出発、今度はイスタンブールへ。B777-200、4時間30分のフライトです。関空〜ドバイの時には、空席があったのですがこちらは超満席。座った途端、関空〜ドバイとは違う違和感が…。シート高がずいぶん高かったように思う。シートは関空で「窓側」座席を指定したのですが、ドバイ〜イスタンブールまでは、窓側も通路側も空席なし。というわけで、私は真ん中のバルクヘッドシートです。左隣にスチュワーデス御一行様、右側に80歳くらいの日本人のおじさん。
そうそう! このときのミールサービスは、チキン、ビーフ、ラザニアから選択。左のスチュワーデス御一行様の一人が、ラザニアをさんざんな言い方をしていたので、チキンをチョイス。「味はまぁ、まぁだな…」と思っていたのです(ちなみに、ミールサービスの時間差が半端ない! 私のところに配膳したときには、隣のスチュワーデス御一行様は、既に食後のコーヒーを飲んでいました)。

ところで、右側の日本人の80歳くらいのおじさん、ずいぶんと旅をされてる方のようで、それはもうずっと喋りっぱなしだった…。たとえばJetStarにまで乗ってオーストラリアに行ったのだという。評価は「安かろう悪かろう」の大酷評でしたが。いろんな旅のお話をお持ちでした。そんなおじさんに、「初めての海外旅行の機内食って覚えてます?」とこちらから質問してみた。「あれは忘れもしない、1ドル360円の頃…」と、ある意味、予定調和的な物語(ノーカット・バージョン)が始まるのだけれど、そんな話を聞いていたら、目の前のどってことない機内食が、ご馳走のように思えてきたりするから、あら不思議。手元のトレイをよくよく見ると、ご丁寧にもバターにジャム、クリームチーズに、プロセスチーズ、とたかだかロールパン1つ(クラッカーにも使えるけど…)にこんなにトッピングがついているのだ。前菜に主菜、メインに副菜、デザート、その他にもヨーグルト、クラッカー、お水、コーヒーor紅茶。紙袋を破けば、お手拭きナプキンに塩、胡椒。砂糖にダイエットシュガーに、ミルクに、コーヒー用のスプーンスティク。もういっこの紙袋には、ナイフにフォークにスプーン…。あの狭いエコノミー座席の、それもまた狭いテーブルの上に乗せる、小さな小さなトレイに、こんなにふんだんにもられた「フルコース」の食事。飛行機のサービスってけなげですよね…。やっぱり、飛行機にはいろんなものがギュッ! っと凝縮して詰め込まれているんだ! 気づけば「おいしい!」「おいしい!」なんていって、ほぼ完食です。
そうそう。Emiratesで「おいしい!」と思ったのは、チョコレートです。見た目も味も、ゴディバの定番、「カレ」(ミルク味)にそっくり。でもUAE製でしたが…。機内販売があればぜひ買って帰りたいと思ったのですが販売はありませんでした、残念。

さて、いよいよ到着した本来の目的地、トルコ共和国はイスタンブル(イスタンブール)です。
ご存知のように、イスタンブルは北側の黒海と南側のマルマラ海を結ぶボスポラス海峡で「ヨーロッパ側」と「アジア側」に分かれており、今回降り立った「イスタンブル・アタチュルク国際空港」はヨーロッパ側にあります。空港はガラスが全体的に青くって、すこしレトロな印象。電気も最低限しかついていなくて、なんだかちょっと暗いイメージだなと思ったのは、あのきらびやかで威勢的なドバイからの入国のせいなのかしら?
でも…どこの空港でも、到着ロビーって出発ロビーの華やかさよりも劣りますよね。特に国際線の空港なら、出発ロビーよりも到着ロビーの方を派手にした方がイメージあがるのに。第一印象って大事ですからね。日本でもはじめて地方空港を利用したときに、「船着き場みたいだな…」という印象を持ちました。











イスタンブルなんですが…、イスタンブルだけでもローマ帝国の首都・コンスタンティノープルとして1000年以上、オスマン帝国時代に600年に渡って首都として(現在の首都は「アンカラ」)機能してきたわけで、もちろんアナトリア地方を含めてトルコを見渡しても、ヒッタイト王国からフリュジアン、リディアン、ビザンツ帝国…ってな具合で、その歴史の軌跡は世界遺産として登録されているだけでも9つ、世界遺産「候補」も山ほどあるお国、私自身世界史を学び直さなきゃいけないのと、歴史を簡略解説するだけでも、このブログと大きく外れてしまうので、思いっきりすっ飛ばします!

結論からいいますと、どっぷりハマりました…。ヨーロッパとアジアの融合、っていうか…ぶつかり合う豪傑で繊細で、誇り高い国。王朝制、多様な人種と宗教、近代文明とイスラム文化の、イスタンブールの都市化と田舎の大自然。竜子の大好物、いろんなものが錯綜する、百花繚乱、魑魅魍魎の文化です。そしてなにより、「世界屈指の親日国」なんていわれるほどのお国柄(まさかここまでとはトルコではじめて知りましたが)、老若男女、とても親しみやすく、凄く気持ちよく過ごしました。治安もきわめて良好。今後リピートすること間違いなしでした…。

さて。トルコがなぜ親日国なのか? これは、私がトルコへ行く前に読んだ本の話、あるいは小説で得たエピソード、それから現地のガイドさんに聞いた話を少し紹介します。そして、最後に飛行機好きの皆さんともちょっとだけ、ゆかりのあるお話も。

まず、「日露戦争で日本がロシアをやっつけてくれた」という意識。これは現地ガイドさんから聞きましたが、トルコでは常識のようです。ロシアがトルコに侵略されそうになっていたところ、日露戦争が勃発し、侵略を逃れた。このとき、トルコは同盟国にもなりましたが、自国の勝利のようにもてはやされ、艦隊を率いた東郷平八郎や乃木希典もトルコの国民的ヒーローとなったのらしい。それを象徴するように、トルコでは子供に「トーゴー」や「ノギ」という名前をつけるのが流行ったり、「トーゴー通り」、「ノギ通り」というのがあったという。現地ガイドさんによると現在、「トーゴー通り」というのはないそうですが。現在もこの「ロシアをやっつけてくれた」という気持ちが強いのだそうです。

つぎに、イスタンブールの空港名にもなっている「アタチュルク」(ムスタファ・ケマル・アタチュルク「ケマル・パシャ」の名も)ですが、近代トルコ史において重要な人物で、「建国の父」って呼ばれている、トルコ共和国・初代大統領です。トルコ共和国の「建国」は1923年。600年続いたオスマン帝国も、相次ぐ戦争や独立で国力を落としてゆくのですが、決定打になったのは第一次世界大戦での敗戦。このとき、アタチュルクは君主制を廃止し、宗教学校を閉鎖したり、トルコ帽やターバン(イスラム教色の強い男子のかぶり物)を禁止したりするなどして政教分離をはかりました。また、アラビア文字で書かれることの多かったトルコ語もイスラム色が強いってことで、ラテン文字(ローマ字)に変更させるなど、共和制に基づいた国家の近代化を押し進め、現在に至るのですが、この英雄・アタチュルクには日本にまつわる話も多いのですね…。

その1。日本の明治維新にならって改革をすすめたとの逸話。それゆえ明治天皇の肖像写真を書斎の机に飾っていた、とか。
その2。大陸の両端にある「日本の近代化を見習うように」とアタチュルクが云った、とか。
その3。1890年(明治23年)に「エルトゥールル号の遭難」というのがありました。オスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」が、和歌山の串本町(クシモト・トランジションで有名な、串本です)が、台風によって座礁、沈没するということがありました。コレについては後述しますが、この事件に心を痛めた茶人の山田寅次郎なる人物が、日本全国を廻って後援会を開いたり、新聞社を頼ったりするなどして、義援金を(現在の通貨価値にして)1億円相当を集めてトルコに渡りましたが、当時のオスマン帝国からの依頼で、士官学校で日本の文化や日本語を教えたりするうちに、イスタンブルに住むようになり、民間大使として、後に実業家としてトルコと日本の橋渡し役となり大活躍したようなのですが、この士官学校で日本語を教えた生徒の中に、アタチュルクがいたのです。

ところで写真は、ヨーロッパ側にあるホテルに宿泊したときに、街を散歩しながら迷い込んだ鉄鋼街というか、東大阪というか、まぁ、なんしか町工場のなにげない風景なのですが、トルコの国旗にアタチュルクがいるのが分かります。というか…トルコって、国旗の掲揚率がやたらと高い!! 商店街にも、民家にも、しがない通りにも、ホテルにも、船にも、別荘にも、車にも、バイクにも、どこもかしこも国旗だらけ。男子には徴兵制度が健在で、「軍人」のステータスが非常に高いというから、国家意識の高さが伺えます。
ただ、日本と同じようにトルコにも面白い矛盾もあります。例えば政教分離。現代のトルコ人(特に首都圏の人)は、信仰がかなり薄いといえどもイスラム教が98%を占めるわけで、イスラム教では偶像崇拝を禁止しています。それでも、アタチュルクの銅像は街のあちらこちらにあり、肖像画やポートレートなんかも多く飾られていました。
もう1枚は、ホテルに隣接されたショッピングモール。メリーゴーランドなどが入っていて、子供達もたくさん集まるようなのですが、そこで子供の絵の展示がされていました。こちらにもアタチュルクがコラージュされています。どれも色彩が豊かで、感性の豊かさが見て取れます。髪の色や目の色がさまざまだというのも興味深い。
日本の宗教観、風習として残っている宗教行事などと同じように、いや日本ほどでないにしても、トルコにおいてもこれまでの慣例・風習としてイスラム文化がある、という印象でした(特に若い人やイスタンブルやアンカラのに住む都会の人には、少し暗いイメージだった「コーラン」の匂いはほとんどない)。観光地化しているモスクに入る際にも、現地の女性のガイドさん(一応はイスラム教徒)はスカーフをしませんでしたし、みなさん普通にお酒を飲むそうですしね。
トルコ人はイスラム教の中でも、スンニ派が大部分を占めるそうですが、同行してくれたふたりの現地ガイドの方も「あえて聞かれればスンニ派と答えるけれど、そんなに信仰が厚くないのでお祈りは滅多にしません」とのことでした。

アタトゥルク
※町並みとかも一応、お断りして写真を撮らせていただいてます。かぶり物をしている女性は、基本的には撮影NGです!

アタトゥルク

もういっこ。トルコの人は日本人と兄弟だと思っています(なんて私ごときが言い切っちゃっていいのかは謎)。私は日本人のルーツについてあんまり考えたことがなく…ちょっと不勉強だったので、この感覚についてはトルコでとっても驚いたのです。トルコって…、イスタンブルの一部だけがヨーロッパで、ほとんどがアジア側に位置しているのだけど、ザッとしたイメージではほっとんどヨーロッパ。顔立ちだって中国人や朝鮮人の顔からすると、だいぶヨーロッパだって思うし…。ま、中近東なわけだけれど、よもすると「アジア」って感覚からはちょっと外れてたりする。
トルコ人は、その歴史と土地柄からギリシャ人、クルド人、アラブ人、アルメニア人…などなど混血を繰り返して、顔立ちを形成して、究極の美人やハンサメンを排出しているのですが、そのルーツは中央アジア、バイカル湖辺りに居住していた遊牧民族にあるとされていて、この遊牧民が西を目指し、現在のトルコに。東を目指した遊牧民が朝鮮半島を通って日本に。そんな風に考えているようです。この考え方を象徴するように国旗についてのこんな逸話すらあるのです。
「我々の祖先は兄弟である。星と月を追って西の地に流れたのがトルコ人、太陽を追って東の地に向かったのが日本人」
その証拠に赤地に星と新月の白抜き模様がトルコの国旗、白地に日の丸が日本の国旗なのだ、と。

さらに。日本語と韓国語の文法がとても似ていることは、よく知られていますが、トルコ語も文法が一緒で、同じ語族なのだそうです。ただ、この「語族」については諸説あるようなので、現地ガイドさんの知識とトルコの心情として紹介しますが、「アルタイ諸語」といって朝鮮語族、モンゴル諸語、テュルク諸語(トルコ語、ウズベスク語など)、アイヌ語・琉球語を含めた日本語族、が同じような構文を持つのだそうです。調べたら、世界史の教科書にも書いてありました。

というわけで、なんだかとにかく親日的な国です。街の何気ない会話や雰囲気でもそれがよく伝わってきます。
もしかしたら日本だけじゃなくって国民性なのかも。女性の店員さんから買い物をしたときに、たとえばそれがお水1本でも「テシュクリュ エデリム(ありがとう)」とか「サオルン!(ありがとう)」っていうと、とても喜んでくれて、「ナザールボンジュウ」という、トルコの名産の目玉型のお守りをプレゼント(小さいの)してくれたりします。現地のガイドさんいわく「よその国の人がトルコの言葉を喋ると、とても嬉しいんだ」って言ってました。いろんなトルコ語をガイドさんに教えてもらって(トルコ語会話集を持っていかなかった…)、私はこれを名誉の勲章と名付けて、8個ほど集めました。
それから、トルコには日本語を学習している人が非常に多いです。「こんにちわ」「ありがとう」に限らず、日本に一度も来たことのない人が、大学で、独学で、ホテルでも露天商でも、本当にたくさんの人が喋れるんですよね…。「一緒に写真を撮らせてください」とか、ファッションを褒めてくれたりだとか、外国人、とりわけ日本人とわかると本当に優しい。
トロイ遺跡だとかベルガマ遺跡だとか、エフェソスだとか、地元の遠足の子供たちの集団ともよく遭遇しましたが、どの集団もみんな「ジャポネ! ハロー!」なんていって、来る子来る子ハイタッチ状態、写真を撮れば私も! 僕も!なのです。元気がよく好奇心旺盛。

さて。今回もまた長いのですが、いよいよ残してしまった話題です。
イラン・イラク戦争(第一次湾岸戦争)のさなかの1985年3月17日。突如イラクのサダム・フセイン大統領が、「イラン上空を飛ぶすべての航空機は無差別に攻撃する」と宣言したのを覚えてらっしゃる方はいますか? それが「不毛地帯」だったか「沈まぬ太陽」だったか…はたまた他の小説だったか記憶が曖昧なのですが(おそらくは山崎豊子だったのだと思うのです…)、小説の中にも出てきました。サダム・フセインの用意した時間は48時間。そうでなくとも、相次ぐ爆撃で、テヘラン発の国際線が運行を取りやめる中での出来事。んな急な話…と要請のあった日航でも困難な話でしたが、なにより、当時は自衛隊の問題が今以上にややこしく、イランに残った在留邦人を自衛隊が助けることができなかったんですね。一応、日本政府は他国にも要請はしたらしいのですが、どこの国も自国の人の救出で手一杯。ま、そりゃぁそうですよね。テヘラン空港に詰めかけた日本人も、某ヨーロッパの航空会社の発券されたチケットを持ちつつも、東欧諸国の人たちを優先させられ、路頭に放り出されました。日本から救援機が来ないことが分かった日本大使館が奔走し、現地の日本人会なども動き、伊藤忠商事のイスタンブール支店長らのつてでトルコのオザル首相(のちの大統領)に繋ぎ、特別便を出す約束を取り付ける。オザル首相はすぐさまトルコ航空に掛け合い、すぐに2機の機材調達と給油を始めるも残り時間は4時間。ここからテヘランの日本人をピックアップしてトルコ上空にさしかかったのは、タイムリミットの1時間前。在留邦人は危機一髪のところでトルコ航空に助けてもらった! ということです。

実は、私の方でも事実関係は定かではないのですが、「イランの日本大使館の野村豊大使が、トルコ大使館のビルレル大使にお願いした」という話もありますので、ここら辺はちょっと曖昧にとらえていただきたいのですが、このとき、日本人の要請でトルコ側が言った、という説話として、
「トルコ人なら誰でもエルトゥールル号の遭難のときに日本人に助けてもらったことを知っています」と言ったとか。

この「エルトゥールル号遭難事件」というのが、先に書いた話です。ご存知の方も多いのだとは思いますが、せっかくの飛行機にまつわるエピソードなので最後に紹介しておきます。

1889年7月、イスタンブルを出港した木造軍艦「エルトゥールル号」がイスラム諸国をまわりながら11ヶ月をかけて日本へ到着する。司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、翌年6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受ける。ただ、軍艦の老朽化や資金不足、乗員のコレラの流行などで、出航の機会が後ろ倒しになりそうだった。司令官オスマン・パシャは機会を見計らいつつも、結局は、あまりに帰国が遅れるとオスマン帝国海軍の弱体化ぶりが露呈しまうということから、台風が来るのが分かっていながらも、無理矢理日本を発ってしまう。
横浜港を出て数日後の1890年9月、エルトゥールル号は台風による強風にあおられ、和歌山の串本の岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は水蒸気爆発を起こし、沈没してしまう。結果として580名以上の犠牲者を出すことになったが、一部の生存者は串本に漂着し灯台守に座礁を伝えると、串本の住民総出で救出にあたり、結局70人近い乗組員を手厚く介抱する。
当時の串本はとても貧しい村で、住民たちの食べ物すら満足にない状況だったにも関わらず、自分たちの食べ物を惜しまず乗員に分け与えて献身的に介抱したといいます。それが明治政府に知れ渡ることとなり、政府が支援し翌1891年1月には生存者全員がイスタンブルに送り届けられた。この話がトルコでの親日感情を高めるきっかけになったともいわれ、先のトルコ航空の話につながるのだとか。

東の太陽、西の新月―日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件
東の太陽、西の新月―日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件 山田 邦紀,坂本 俊夫

あるところでは、エルトゥールル号のお話がトルコの教科書に載っていて、トルコ人で知らない人はいないなどとも言われたり、あるところでは、実際に教科書に載っているかどうかは眉唾もの、とも言われていたり。このお話はトルコに行く前から気になっていた件でしたので、現地ガイドさんなんかにも聞いてみたりしましたが、それぞれ曖昧です。40歳過ぎの女性ガイドさんは、「小学校5年生のときに習ってみんな知っている」という人もいれば、私と同い年のガイドさんは知らなかったり、とまちまち。全日同行してくれた現地ガイドさんには聞かなかった。けれど、日本でも読書感想文の指定図書となったりと、じわじわ浸透してきているようです。少なくても、聞いて悪い気がしないお話なのでした…。

飛行機ファンの聖地・下地島へ行くのに宮古島を利用したことがある人はとても似たような話を知っているかもしれませんね。「うえのドイツ村」。こちらも同じく明治時代にドイツの商船「ロベルトソン号」が航海中に台風に遭ったお話。

ご紹介まで。

トルコ…明日写真をアップしますね。興味ある人はぜひ。

では。

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■帰国日、バスからターミナルを。


■こういう空港ロビーの顔、というか表情って国柄というか…気難しさを感じさせます。


■ヨーロピアンですね。


■格安チケットショップみたいですね。


■やっぱり暗い?!


■自然光が気持ちいい!


■何やら拡張工事かしら?


■到着時と同じ搭乗口に。天気がよいので景色も違う!


■かろうじてEmiratesのしっぽが!


■この、青いガラス窓に赤と白が映えるな…。


■貨物機の方では、なにやらターミナルを建設中?


■ここをくぐったら、いよいよさようなら。旅先からの出国って、凄く寂しくなりますよね…。もっと居たかったなぁ〜。


ばいばい。
| 竜子 | 空港 | 10:28 | comments(4) | trackbacks(0) | 航空・飛行機ランキング |
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フライト・ドキュメント「機長席II ヒマラヤ飛行」
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